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城北ライダース現会長、久保亨氏に訊く「城北ライダースの歴史と伝統」と「SSクボを受け継いで」

日本では最古参と言っていい名門モトクロスチームの城北ライダース。今回の65周年パーティを終えて、ようやく落ち着いた久保会長に、城北ライダースと自身の関係、名チューナーSSクボを継承した経緯を訊いた。

城北ライダースの65周年パーティの記事はこちら

高根英幸(聞き手=自動車ジャーナリスト、以下高根)
スピードショップクボ(以下SSクボ)は、4輪のチューニングショップですよね。久保さんと、城北ライダーズにはどんな繋がりがあるんでしょうか。SSクボを設立したお父さんの久保 靖夫さんが、城北ライダースの創設メンバーであったっていう以外にも、久保さんご自身と城北ライダースの繋がりはあったんですか?

久保 亨氏(SSクボ代表、城北ライダース会長、以下久保)
僕は高校生ぐらいの時から前会長の村上さんのところでモトクロスをやり出したんです。城北ムラカミには、17歳ぐらいから行ってたんです。

高根
そこからずっと続いてるわけですね。でも、あくまでもSS久保は4輪のチューニングショップ。

久保
そうですね、はい。

高根
今なんか旧車が流行ってますもんね。やっぱりL型系が多いんですか。

久保
そうですね、でも改造したいというよりは、持っているクルマをちゃんと走らせたいっていう人の方が多いです。

高根
やっぱり調子崩してる車が多くて、その修理なんですね。

久保
そうですね、今入ってるうちの1台、S30Zはこれまでずっと日産のディーラーに出してたらしくて、どうも調子悪いままらしいんです。

高根
今はディーラーじゃイジれるメカニックはいないでしょう。

久保
多分いないと思います。

高根
だってディーラーって、整備士学校出た比較的若いメカニックが現場で整備するわけじゃないですか。ここ10年ぐらい、整備士学校の生徒や卒業生に聞くと、キャブレターは教科書には入ってるけど、もう先生が教えないって言いますね。「君たちには関係ないからこれは」って。だからこういうクルマが入ってきても診れないですよね。

久保
なんだか訳わかんないんじゃないですかね。

自動車科の高校を出て4輪メカに、そして今は旧車とパワーボート

高根
久保さんは、17歳の時からモトクロスやられてて、4輪整備の技術的なことっていうのはどこで学ばれたんですか? 学校とかにまず行かれたんでしょうか。

久保
南浦和にあった小松原高校の自動車科っていうところに行ってました。そこはあくまでも学校のレベルなんで、一応卒業する時に学校内の試験を受けて、受かれば3級整備士の試験を受けさせてくれるっていう仕組みでしたね。

高根
なるほどなるほど。じゃあ、その時点でもう3級整備士の資格を取られたんですね。そこからあとはSS久保で、お父さんから技術を受け継いだんでしょうか?

久保
いや、すぐには家に入んなかったんです。

高根
1回、外に働きに出たんですね。

久保
はい、最初は運送会社の整備部に入りました。

高根
そうですか。会社が大きいとありますよね、整備工場が。

久保
で、そこで3年ぐらい働きました。

高根
トラックのでかくて重たい部品ばっかり外したわけですね。

久保
いや、軽自動車から大型トラックまで全部やりました。

高根
ところで、かっこいいパーカー着てますね。

久保
これ、コジマエンジニアリング(日本で初めてF1マシンを作ったコンストラクター)さんのヤツなんですけど、最近コジマさんのパワーボート関係も仕事もらってるんです。このゼッケン1の船はマーキュリーのエンジンで、V8の8200ccを2基掛けしてます。だから調子よければ水上で200キロオーバーするらしいです。

高根
うわ、それはヤバいですね。

久保
ちょっとしたメンテナンスはコジマさんのところでもやるとは思うんですけど、もう本当バラバラにする整備っていうのは、今は僕がやらせてもらってます。年に何回かは琵琶湖まで行きますね。琵琶湖にコジマエンジニアリングのマリーナがあるんです。

今も残る貴重な資料にみる城北ライダース

高根
城北ライダーズに話題戻しますね。この最優秀クラブ賞っていう賞状が目に入ったんですけど、これは?

久保
あ、これは今、MCFAJのレース。もう2月のこの間だから9日から始まってるんですけど。
一応うち結構選手がいて、毎年っていうぐらい、大体この、その年1番参加したでしょう、みたいな。これはいつも開幕戦時になんかこう、優秀クラブってカタチで表彰してもらって、今年も一応もらえました。

高根
今もMCFAJがメインなんですか?

久保
そうですね。MFJも1人プロの選手が一人います。

高根
この間話題になってましたね。国際A級の平塚豪選手ですね。

久保
国際A級のIA2ってクラス、A級だと下のクラスにはなるんですけど、一昨年からそのクラスになって走ってます。

高根
この上の写真は? これは久保さん、お父さんの写真ですか?

久保
いや違います、これは1番奥が矢島健次郎さん。真ん中が2ストレーサーレプリカーのスズキRGガンマとかのチャンバー作ってたSRSスガヤの菅谷さん。で、これが日産のドライバーだった都平健二さんですね。
この手前のバイクがそこにあります。この間のパーティに飾ったあれと同じものなんです。

この間ちょっとこんなのも。この雑誌もらったヤツなんですけど、これに城北ライダースが取り上げられているんです。

高根
スクランブラーがメインの号ですね。城北ライダースの特集じゃないですか!

久保
これが鈴木誠一さんで、これが森下さんだったか。それで、これは久保和夫って僕の叔父さんになりますね。

高根
これ何年の本ですか。1960年! うわ、古いな〜

久保
これに城北ライダースの記事が載ってるんです。

高根
うわー、これは貴重ですね。

SRSスガヤとSSクボでの修行時代

高根
もう先ほどおっしゃった17歳の頃からずっとモトクロス続けてらっしゃるんですか?

久保
モトクロスをやってて、で、途中でちょっとカートにいって、その時は城北ライダースのメンバーだった菅家安智さんのところ、SRSスガヤにお世話になってました。

で菅谷さんとこで働きながら、じゃあレース出てみたらどう?って社長に言われて、2年半ぐらいいたかな。その時に2サイクルのカートのエンジンも色々勉強させてもらいました。

そのSRSスガヤ辞めてから、個人的にメカニックとして動いてた時に、千葉のカート屋さんに仕事頼まれてたんです。そこに伊勢崎オートレースの田代選手の息子さんがそこのショップに世話になってて、一緒に色々やってたんですけど、それが結構長かったですね。

高根
その間にSSクボも手伝ったりされてたんですか?

久保
一応ウチにいてやってはいたんですけど、その頃は正直言うと、ウチあんまり仕事がなかった時期でした。

高根
今みたいに旧車に脚光が浴びてなかった頃ですね。

久保
そうなんですよ。ちょうど、なんて言うんですかね、今はものすごい金額のクルマが、もうほんと5万円、10万円みたいな感じでした。

高根
「あの時買っとけば!」みたいな世界ですよね。

久保
ですね!(笑) 下手すればもう調子悪くて、アレはもうタダで持ってっていいよみたいな。

高根
s30zだって本当に腐るほどありましたね、

久保
この裏にあった、解体屋に積まれてましたからね。

高根
今なんかハコスカとか30Zとかボロボロのやつでも興すじゃないですか。

久保
だから、そんなんでもものすごい値段で取引されてますね。びっくりしちゃう。
でも、この時代のってやっぱり鉄板がしっかりしてるんで、未だにクルマはしっかりしてます。

高根
ということは、SSクボでは手伝いながら、お父さんから色々ノウハウを学んだわけですか。

久保
でもウチでは、父親からは教わった記憶が僕はあんまりないんですよ。

高根
そうなんですか!

久保
ちょうどその頃、旧車レースのお客さんも何人かいて、ある時クルマを作るときに、あるクルマに「この部品付けとけ」って言われて、うん、ポンって渡されて。
でも、僕は「全然付かないじゃん、これ。そのクルマ用じゃない。全然付かないよ」。って言ったんです。そうしたら父親は「付かないんじゃなくて、付けるんだよ」と。

高根
「加工しろ」と。

久保
そうなんすよ。

高根
その方法は教えてくれないわけですか。自分で考えろ、ということですね。で、どうされたんですか?

久保
できるだけ穴の位置を合わせて、他の合わないところは穴開けて合わせて付けました。

高根
なるほど。それで、お父さんは何と?

久保
何も言わないかったから、多分それで大丈夫だったんでしょう。そんな調子であんまり教えてもらったって記憶はないですね。

高根
なんかキャブのセッティングだのなんだの、その部品の組み付け方とか、なんかノウハウがあって受け継いでらっしゃるのかなと思ってました。

久保
キャブは自分でモトクロスの時に散々こう、自分らでイジくってたんで、それがやっぱ生きてるかなとは思います。キャブレターは違いますが、ちょっとジェットの種類が違ったり、取り付け方が違うぐらいで、セッティングすること自体に関してはそんな変わらないですね。

現在の城北ライダースとこれから

高根
今は城北ライダースのクラブ員は何人ぐらいいるんですか?

久保
10人ぐらいだとは思うんですけど。ほとんど全員が、MCFAJのモトクロスに出場してますね。

高根
なるほど。でも最古参で未だに最優秀クラブ賞で表彰されるっていうのはすごい。

久保
それいやもう多分、参加人数が多いからですね。多いときは全員参加になるんで。

高根
今、国際A級の平塚選手は若い方ですけど、他にも若い選手はいるんですか?

久保
いや、いないですね。10歳20歳ぐらい離れてる。前は一緒に乗ってた息子たちもいたんですけど、今はもうあんまり乗ってないですね。メンバーの息子さんたちより、やってる我々が一生懸命自分たちがやっちゃってるから。息子とかいるとめんどくさくなっちゃう(笑)。

高根
ということは、MCFAJのモトクロス自体の参加者の年齢層自体がもう上がっちゃってる感じですか?。そういう意味では、まだその、40代、50代ぐらいで元気に走ってるんでしょうか。

久保
上がってると思います。いっぱいいますよ。

高根
次の城北ライダースのパーティー的なイベントっていうのは、そうすると70周年になるんでしょうか。

久保
今年、65周年パーティをやったんですけど、(コロナで延期してたので)厳密に言うと67年目なんですよ。だから、3年後にまたやりたいなと思ってます。

それには現役のメンバーも歴代メンバーも、皆さん元気でいてくれてることが1番かなとは思っています。

城北ライダースの65周年パーティの記事はこちら

城北ライダース創設メンバーの一人、久保晴夫氏は4輪チューナーに転向したが、その息子である亨氏はモトクロスに目覚め、4輪メカをしながらモトクロスを楽しみ、城北ライダースとSSクボを受け継いだ。

前会長の村上恒誓氏は惜しくも昨年亡くなられたが、生前「久保家に城北ライダースをお返しできた」と語っていたそうだ。SRSスガヤやコジマエンジニアリングも城北ライダースにゆかりのある企業といえ、日本のモータースポーツ黎明期に生まれた絆の強さを感じられた。

伝統ある城北ライダースの歴史は、まだまだ刻み続けられていきそうである。

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1件のコメント

  • ヤマダタケヒコ
    返信

    懐かしいお話ですね、私もあの頃高尾レーシングに籍を置いていました、その後MSR(三室スポーツレーシング)を知り三室さんが他界するまで御一緒させてもらいました。

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